高校生のための かんきょうフォトコンテスト 2013 「組写」&「エッセイ」ブログ

女子大生が描く!☆エコライフのススメ☆

2013年10月11日

栗ご飯
栗ご飯炊いちゃいました!わっきーです!(*゚▽゚*)
旬のものは美味しいねぇ↑↑

さて…秋といえば読書の秋ですね。本なんて読まない人もいるかもしれない。でも読書は、自分にとって新しい刺激や理解を与えてくれるという点で、人との対話や遊びに出かけることと同じ。むしろ多くの人の手に届く名著の数々が新しい世界を開いてくれるなんて、お手軽ですね。悩んでしまって解決できないときは、かけて欲しい言葉を探していくつもいくつも本を読みあさったこともあります。まぁ、本の良さは分かってもらえたことにして、今日は環境の歴史をザザっと振り返りたい気分です。

環境が国際関係上の問題として本格的に現れ始めたのは、冷戦の雪解けからです。終戦によるベビーブームと産業の拡大、そしてソ連とアメリカとの冷戦による軍拡競争や水爆実験という激動の時代を過ぎ、その背後で私たちは着実に大気を汚し、水を汚し、廃棄物を増大させてきました。科学技術の進展で、50年代にはペニシリンがマラリアを激減させた奇跡のような歓喜を人々にもたらした一方で、62年にはレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を著して人間中心主義に警鐘を鳴らしました。日本では50年代~60年代にかけて四大公害病が人々を苦しめました。72年ローマ・クラブの『成長の限界』がベストセラーとなって環境問題と経済成長を結びつけ、同年スウェーデンのストックホルムで国連人間環境会議が開かれました。85年にはチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故がありました。そして92年のリオデジャネイロで国連環境開発会議が開かれた年、に私が生まれました。

…かなり乱暴な見方でしたけれど、こうして見ると環境問題の歴史は、歳若くして深刻な難病を各所に抱えており、私たちの人間活動と密接に共鳴しています。人は競争社会に流され、造り出すだけではなくて、立ち戻るべきは影響を知ること、責任が取れるのかということです。私もそのひとり。就活辛いですよ。。。

なんだ結局愚痴ですね。(笑)

頑張っていきまっしょい!

わっきー

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