ごみ問題って結局「わたしの問題」

ごみ問題って結局「わたしの問題」

2025年01月20日

今春、横浜隼人高校一年生がインドネシアで海外研修を行うということで、「ごみは社会を映す鏡」のタイトルで環境問題の事前学習をさせていただきました。横浜隼人高校様とは、かんきょうデザインプロジェクト主催のアップサイクル広場で再生チョークアートのワークショップに参加して頂いたことから交流が始まり、先日投稿した古布の選別工場に一緒に行ったり、廃棄物処理会社に訪問してごみ処理の現場を学んだりと、かれこれ7年程のお付き合いとなります。若い世代と環境問題について交流できることは、本当にありがたいことです。

きょうは現地のごみ事情を目の当たりにして、帰国後に書き上げる研修レポートテーマのヒントとなるよう、日本、韓国などのごみ処理方法や廃棄物に関する法律ができるまでにどんな問題があって、どう解釈して法律をつくりあげていったのか。ごみを発生させないリデュース、そして、リユース・リサイクルも大切ですが、ごみを適切に処分するとはどういうことか、もしごみが適切に処分されなければどのような弊害が起きてしまうのか。そうしたことをお話しさせていただきました。

ごみを出さない人はいません。ごみ問題は「ごみが溢れかえって引き起こされる社会問題」ですが、人類が存在する限り、ごみも存在するわけで、ごみ問題って結局「わたしの問題」なんだと思います。一人ひとりの“少しずつ”でごみ問題を改善してゆく・・。

インドネシアの人口は約2億7900万人と日本の約2倍弱を抱え、国土は約5倍の広さ。多民族国家でもあり、生活習慣や風習、文化も日本と比較して多様です。ごみは生活に直結する事柄なのでわずかながらでも習慣や風習の違いは、ごみに対する価値観も多様ということであり、ルールづくりや廃棄物の管理体制構築は日本の感覚のそれとは異なります。解釈、理解が難しいと思いましたが、そんなことも伝えてみました。

彼ら、彼女たちが社会の中心として活躍する頃の廃棄物管理はどんなものになっているのだろう。たのしみです。

 

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